コーチングvsティーチング
日々の仕事において、コーチングとティーチングのバランスに苦悩している。 学生教育であれば、アクティブラーニングと称し、学生の自発的な学習姿勢に寄り添うスタイルでの教育が求められ、先生はティーチャー(教える人)ではなく、ファシリテーター(進行役)と言われる。 しかし、自発的に学習に取り組むためにはある程度の基礎(知識・スキル)が必要となり、その部分はどうしてもティーチング(教え込むこと)が必要となる。 その自発的な学習姿勢を求めるところと、教え込むところの境目が、個々により異なってくるために、授業設計はある程度のところで線をひいて行かなければならない。 この線の引き方が、先生にとっては永遠のテーマとなっているのではないかと思うし、私にとっては、そこが授業設計と運営の肝となっている。 ボランティアで行っているサッカー少年団の指導でも全く同じ。 どこまで、基礎的な技術練習やある一定の型を教え込み、どこから自由にプレーさせるか?基礎や型の練習は、あまり面白くないかもしれないが、絶対に必要なトレーニング。一方で、自由にゲームをさせれば、子ども達は楽しむ。 子ども達が自由にゲームを楽しむことはもちろん大切だけど、本当にサッカーを楽しむためには繰り返しの技術練習や型の練習は避けて通れない。 さて、どこで線を引くか???? バカロレア教育においても。 前回のブログでも書いたが、ある程度の誘導・方向付けはしなければ、ただの放任・放置となる(コーチではなく”ほうち(放置)”やで、、、、、というオヤジギャクでよく説明する。) 一方、誘導しすぎると、自発的な探求にはならない。 そのさじ加減に、園の先生達は、頭をフル回転させ、試行錯誤を繰り返している。 (まさに、園児達の探求する枠組みをもとめて、探求している!!) 我々の立場となると、スタッフ教育も同様である。 どこまで指示命令し、管理してやらせ、どこから自発的なアクションやアイデアを期待するか。 答えはもちろんないし、結果的にそのスタッフが成長し、組織としてパフォーマンスを上げれば良い。 1つ答えがあるとすれば、そのスタッフ達に取り組んでいる仕事に熱狂してもらうことだろうか。悪い意味ではなく、良い意味で、仕事に熱狂してもらい、生き甲斐の領域になれば、あとは、放っておいてもさほど問題はない。 答...